スターに愛を込めて
























































































































2003/7/6
キャサリン・ヘプバーン
Katharine Hepburn


1907年5月12日 コネティカット州ハートフォード生まれ
2003年6月29日逝去。


本名キャサリン・ホートン・ヘプバーン。著名な外科医を父とし、恵まれた家庭に生まれ育つ。ブリン・モーア大学で心理学の学位を得たのちに、ボルチモアの劇団に入り舞台に立つ。やがてブロードウェイの舞台にも立つようになり注目されたことがきっかけで、32年にRKOと契約し「愛の鳴咽」で映画デビューを飾る。33年の「勝利の朝」が絶賛されアカデミー主演女優賞受賞。その後は、ハリウッドきっての大女優として君臨し続けることになる。42年に「女性No.1」でスペンサー・トレイシーと共演して以降、二人はハリウッドの伝説的名コンビとなり、その後9本に渡って共演を続ける。アカデミー主演女優賞にノミネートされること12回。「勝利の朝」以降「招かれざる客」「冬のライオン」「黄昏」と4度の受賞は未だ破られることのない大記録である。最初の受賞が33年、最後の受賞の「黄昏」が81年の作品であることを考えると、実に半世紀の間にわたってハリウッドのトップ女優として君臨し続けた彼女の偉大な功績が改めてわかるというものである。
映画でも沢山のヒット作に恵まれたが、ブロードウェイでの活躍も目覚ましい。30年代に映画で大活躍をした後、38年にはブロードウェイに戻り、「フィラデルフィア物語」で大人気を博す。この映画化権を得てハリウッドに持ち帰り同作の映画化でも主演した。50年代にはバーナード・ショーやシェークスピア作品で活躍。69年にはココ・シャネルの伝記「ココ」をミュージカルで演じている。
私生活では28年に学生時代からの恋人と結婚しているが、34年に破局を迎える。その後大富豪ハワード・ヒューズとのロマンスも噂されたが結婚には至らず。名コンビとして名を馳せたスペンサー・トレイシーと公私にわたって親密だったことは有名。しかし実はトレイシーは妻ある身で、結局二人の関係も結婚に至ることはなかった。60年代にトレイシーが病に倒れた時、キャサリンは5年間映画に出演せず彼の妻と交代で看病に努めたという。67年、トレイシーと「招かれざる客」でまたまた共演。結局それが彼の遺作となった。「黄昏」での名演を最後に一部のテレビドラマを除いて、一線から退く。「招かれざる客」で彼女の娘役を演じたキャサリン・ホートンは彼女の姪であり、「赤毛のアン」でダイアナ役を演じたシュイラー・グラントの大伯母にもあたる。

2003年6月29日、逝去。享年96歳。映画と演劇を愛し、自分に正直に悠々と生きた人生だった。



主な出演作品

1932年 愛の嗚咽
1933年 人生の高度計
      若草物語
      勝利の朝
1934年 小牧師
      野いばら
1935年 乙女よ嘆くな
      心の痛手
      男装
1936年 女性の反逆
      メアリー・オブ・スコットランド
1937年 偽装の女
      ステージ・ドア
1938年 赤ちゃん教育
      素晴らしき休日
1940年 フィラデルフィア物語
1942年 女性No.1
      火の女
1947年 愛の調べ
      大草原
1948年 愛の立候補宣言
1949年 アダム氏とマダム
1951年 アフリカの女王
1952年 パットとマイク
1955年 旅情
1956年 雨を降らす男
      ロマンス・ライン
1957年 おー!ウーマンリブ
      コンピューターとミス・ワトソン
1959年 去年の夏突然に
1962年 夜への長い旅路
1967年 招かれざる客
1968年 冬のライオン
1969年 シャイヨの伯爵夫人
1971年 トロイアの女
1975年 恋の旅路(TVムービー)
1976年 オレゴン魂
1977年 ゆかいな風船旅行
1981年 黄昏
1985年 ニック・ノルティ/キャサリン・ヘップバーンの 愉快なゆかいな殺      し屋稼業
1992年 たった一度のクリスマス/ある逃亡者との物語(TVムービー)
1994年 めぐり逢い


※キャサリンを初めて認識した映画は「オレゴン魂」でした。76年の作品ですから、もう女優としては晩年の作品と言えるものですね。その中で、あのジョン・ウェインを簡単に口と理屈で言い負かしてしまう女丈夫を演じていた彼女を見て、「素敵な女優さん」と思ったのでした。あの時もう70に手が届こうかというお年だったわけです。女丈夫というと彼女の場合いささか語弊があるかもしれません。彼女に共通するのはいつも知性と品。西部を駆けめぐって砂と埃にまみれても、絶対に失われない品があるのです。そこが素敵でした。そして良く動く口(笑)。ジョン・ウェインがたじたじになっていましたっけ。それ以来、キャサリンは凄くお気に入りの女優さんになりました。それこそ、中学生にして「ハリウッドで最高の女優はキャサリン・ヘプバーン」と思うようになったのです。その思いは今も変わりません。

キャサリンは、いわゆるハリウッドビューティーズとは一線を画していますね。「美人ではないけれど」と彼女を形容するときに枕詞のようにこの言葉がつきます。確かに一般的なハリウッドの基準でいえば美人女優ではないかもしれない。でも、キリッとした知性の塊のようなそのお顔は時々ハッとするような美しさを見せる時があるのです。それこそ内面からにじみ出る美しさでしょうか。
30年代の彼女は、若さのためもあるかもしれませんが、ファションセンスも抜群で十分に美しさを感じさせる作品にいっぱい出ています。スクリューボールコメディの元祖とも言える「赤ちゃん教育」の天衣無縫のわがままお嬢様役は十分すぎるくらい綺麗でおまけに可愛かったものです。その一方で「風と共に去りぬ」のスカーレット役候補の本命の一人で本人もこの役を熱望したらしいですが、セルズニックから「レッド・バトラーが貴女をずっと追いかけるとは思えない」と言われた、という女優として不快としか言えないだろう体験もしているようです。まあ、キャサリンにスカーレットは似合わないだろうとは思いますが。


40年代からはスペンサー・トレイシーとのコンビで有名になります。その後20何年にわたるスペンサーとのお付き合いの始まりでした。二人の公私にわたるパートナーシップはハリウッドではあまりに有名ですが、スペンサーは妻ある身ですからつまりは不倫?一体、どんな関係だったのかは気になるところですが、スペンサーの晩年には彼の妻と交代で看病にあたったという話。一歩間違えればドロドロの泥沼に入り込みかねないスキャンダルをスキャンダルになる一歩手前で止めてしまって何気なく過ごしてしまうところは、彼女のキャラクターゆえでしょうか。

明朗闊達なジョー・マーチに扮した「若草物語」。生き生きとわがままお嬢さんを演じた「フィラデルフィア物語」、ボギーをたじたじにさせた「アフリカの女王」では汚れてボロボロになってもそれでもやっぱり天性の気品が漂っていました。ベニスの夏の日の夢見る乙女に扮した「旅情」、スペンサーとの最後の共演作「招かれざる客」、凛とした王妃を演じた「冬のライオン」、ヘンリー・フォンダと共演して共にオスカーを受賞した「黄昏」では倒れているヘンリーに駆け寄って囁くセリフが絶品でしたっけ。長い年月を過ごした夫婦ならではのもの。「去年の夏突然に」の上流階級のご婦人役ではいつも家の中でエレベーターに乗って降りてくる姿が威厳たっぷりで思わずひれ伏したくなるほどでした。「お前は魅力がないのだから」と言われ続ける「雨を降らす男」の彼女も素敵でした。「愛の調べ」でのクララ・シューマン役では一転してたおやかなご婦人。マイナーなところでは「コンピューターとミス・ワトソン」。今では時代の遺物のようなコンピューターばかりに目がいきそうですが、彼女のコメディエンヌぶりには傑出した才能があります。


私が思い描くキャサリンは、とにかくいつも凛として颯爽としていて、知性の塊そのもので品があって・・・。私の理想の女性像でした。「女性らしくない」「中性的」と言われたこともありますが、逆にそこが良かったのです。女性にも十分に愛されるスターであった最大の理由の1つではないでしょうか。それでいて、恋にときめく女性の可愛らしさ、繊細さを十分に出せる人でした。ある時代以降は、ひっつめた髪が一種のトレードマークのようになってしまったけれど、何故かいつも後れ毛があちらにもこちらにもパラリパラリしているところに逆に繊細な色気を感じます。

アカデミー賞受賞4回の記録は勿論未だ破られません。そして、悪いけれど今後誰にも破って欲しくない、キャサリンだけの大記録であって欲しいと願っています。

享年96歳。最近は身体を壊していると聞いていました。いつか、という予感はそのお年からも感じていたけれど、いざ迎えてみるとやはり淋しい。ハリウッド黄金期に決して美をひけらかすだけじゃない、添え物としての女優から完全に抜きんでて映画を芸術に高めることに貢献した一人でした。彼女のような人はもう現れないでしょう。古き佳きハリウッドの終息を感じさせます。キャサリン、本当に貴女はいつもいつも若い頃もお年を召してからも素敵な人でした。憧れでした。素晴らしい人生だったことと思います。どうぞ安らかにお休み下さい。



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