2002/9/22 |
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クレイグ・バック Craig Buck
1958年8月24日 アメリカのバレーボール選手 203cm
80年代に光り輝いたアメリカ男子バレーの黄金時代をレギュラーとして支え続けた1人です。84年のロサンゼルスオリンピックで金メダル獲得。85年のワールドカップ、86年の世界選手権を制覇し、さらに88年のソウルオリンピックで再び金メダル。思えばあの頃のアメリカは無敵の強さでした。
アメリカバレーが築いた手法の一つにリードブロックというものがあります。これは、あらかじめ相手のスパイクコースを予測して先にブロックに跳ぶというものです。いつもどんぴしゃりとブロック出来るものではありませんが、ブロックでワンタッチをかけることによってボールの威力が弱くなり、後ろで控えるチームメイトがレシーブしやすくなるという抜群の効果をもつ手法でした。センタープレーヤーであり、レギュラー中最長身のバックは、まさしくこのブロックの要でした。彼が前に立つと、大抵のアタッカーがスパイクを打ちにくくなったものです。高いブロックが怖くて、コースを変えてその結果アウトにしてしまう、というシーンがどれほど見られたことでしょうか。彼は、ネット前にそびえているだけで威嚇を与える選手と言えたでしょう。
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また、味方のうまいサーブで相手レシーブを崩してその結果打たれたスパイクをピシャリとブロックするというのも良く見られた光景でした。
更に、世界選手権の時の決勝戦では凄い早技を編み出して来ました。決勝の相手のソ連は高いブロックが売りです。だから、セッターのドボラックがコート際で速くて低いトスを挙げて、それを素早くバックがクイックする。あまりの早技に相手選手はブロックに跳ぶ暇がないわけです。
アメリカはいつもこういった当時としては画期的な技を編み出しては、一つ一つ頂点を極めていったのでした。
さて、このクレイグ・バック。実はうちの母の一番のお気に入りであります。そして、私にとってはアメリカをはじめ全てのバレー選手の中で初めてお話をさせてもらった人。時は日米対抗。憧れの選手がすぐそこに立っているではありませんか。図々しいとは知りつつ、「握手して下さい」と頼んでしまったのでした。快く握手してくれた彼に感激。その時から、選手との交流願望がしっかり芽ばえてしまったのでした(笑)。その後も、彼とは何度も話をする機会に恵まれました。ティモンズが来日しない時は、「彼はどうしたのですか?」などと他の選手のことまで聞き、いつもニコニコ答えてくれる優しい人でした。笑顔がとても優しいのよね。勿論サインももらいましたとも。
長い髪を振り乱して跳ぶその姿に「コートのライオン」と言われた時期もありました。バルセロナにティモンズと一緒にカムバックする予定で練習に現れたけれど、怪我か何かでとうとうあきらめることになり残念でした。ティモンズも淋しかっただろうけれど。
その後、日本のVリーグの松下にやってきたときは、思わず見に行ってしまいました。
80年代のあの頃、ソ連のサビンと並ぶ世界一のセンタープレーヤーでした。
あんな選手はそれ以降のアメリカチームにもう出てきませんね。
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