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2002/2/17 |
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Isabelle&Paul Duchesnay
フランスのフィギィアスケート選手 アイスダンス
デュシェネー兄妹のデビューは鮮烈だった。初めて見たのはカルガリー五輪のとき。それまでのアイスダンスは、優雅で美しい、というイメージが強かったが、この兄妹は違った。アフリカンダンスのイメージで、うち鳴らす太鼓の音に合わせて「力強い」という形容の方が似合った。コスチューム、音楽、振り付け、全てが独創的だった。独創的すぎて、審判の点は二つに割れてしまった。「素晴らしい」とする意見と、「あれはダンスではない」とする意見と。その結果、採点には何と1点以上の差がつくという前代未聞のことになった。
フィギィアスケート界は封建的な社会である。ネームバリューが採点に大きく物を言う。デュシェネー兄妹は、その社会の中で新しいものにチャレンジしてきた。
1990年の世界選手権のフリーで、デュシェネー兄妹はその真髄を見せた。流れるのはアンデス地方の民謡。男性が女性を回転させるだけじゃ能がない、その逆さまだってあっていい、というような意表を突いた振り付け。プログラムの最初から最後まで止まるところがないばかりか、ラスト近くになってどんどんどんどんテンポが速くなって、クライマックスに達したところで、ポールが屈んで、ポーズを取ったイザベルを、持ち上げて、そのまま滑ってエンド……。観客総立ちのスタンディングオベイションだった。素晴らしいの一言につきた。それ以上の言葉なんて出てこない。五人の審判がフルマーク6.0をつけた。二人が世界に認められた瞬間だった。
1991年の世界選手権で、デュシェネー兄妹は世界チャンピオンに輝いた。もう誰も彼らのことを異端だとは言わなかった。それどころか、彼らの影響を受けて、各国のアイスダンスが変わっていった。ずっと王者の地位を受け継いでいる旧ソ連のチームさえ、新しいものを取り入れるようになった。
地元フランスのアルベールビルのオリンピックで、デュシェネー兄妹は、勿論金メダルの最有力候補だった。オリジナルダンスでは「サウンド・オブ・ミュージック」、フリーでは「ウエスト・サイド物語」の曲を使い、コスチュームもダンスも一味も二味も違う世界を展開してくれた。片や旧ソ連のライバルチームがバッハの曲で、典雅なクラシックバレエのような世界を展開していくのに対し、デュシェネー兄妹はリズムとビートにのったモダンダンスの世界で対抗した。そして……モダンダンスが敗れた。
金メダルのクリモワ・ポノマレンコ組は確かに素晴らしかった。もともとエッジワークはうまいし、プログラムも今まではオーソドックスすぎたが、最近はかなり新しいものを取り入れている。だが、私はデュシェネー兄妹が好きだった。二人の生命力あふれる、女性っぽいところのないダンスが好きだった。銀メダルも素晴らしく価値のあるものだけど、やはり金メダルを取って欲しかった。フィギィアスケート界は二人の革命をあっさり認めるところまでは、まだ成熟していなかったのかもしれない。だが、二人が火をつけた革命は、少しずつだが育っている。
そして今、アイスダンスのフランスの後輩アニシナ&ペーゼラに見られるように、アイスダンスはどんどん独創的になってきている。女性が男性を持ち上げたり、回したり・・・。この流れは全てデュシェネー兄妹が最初に始めたものなのだ。やはり兄妹のスケーティングは、フィギュア界の革命として大きく芽を出し、主流になってきたことが嬉しい。
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