80年代のミスターバレーボール〜カーチ・キライ








































































































2001/6/25

アメリカのバレーボール選手。84年のロサンゼルスオリンピックで金メダル。その後ナショナルチームキャプテンとなり、85年ワールドカップ、86年世界選手権、88年ソウルオリンピックと4連覇の中心的選手として活躍。96年のアトランタオリンピックでは、ビーチバレーに出場し、見事オリンピック3つ目の金メダルを獲得した。
1960年11月3日生まれ。


「カーチ・キライが率いるアメリカの誇り」。85年日本で開催されたワールドカップでアメリカが優勝した時に、特集号に大きく載った見出しだった。アメリカチームは強かった。2人だけでサーブレシーブをするシステム、セッター対角に一番パワーのあるエースを置くスーパーエースシステム、リードブロック。バレー界の常識であるこれらを最初に始めたのはアメリカチームだった。その中でカーチはエース対角の1人として、自分でサーブレシーブをして、自分でスパイクを打ち抜いて、精神的にもチームを引っぱって、オリンピックを初めとする世界大会の金メダル4つを獲得した。191cmの身長は当時でも大きくなかったが、そのハンディを吹き飛ばすジャンプ力と、ジャンプしてから周りを見回すと言われたテクニック、右手でも左手でも状況によって使い分ける柔軟性を持っていた。

ついでに言えばハンサムだった。さらさらの金髪を翻し、コートを駆け回る知的な彼は日本の多くの女性をノックアウトしたものだった。

アメリカはバレーボールの発祥の地であったが、バレーは強くなかった。60年代、70年代はソ連、東欧、日本の時代。82年の世界選手権でアメリカは10位以内にも入れなかった。2年後の地元開催のロサンゼルスオリンピックを控えて、何としてもチームを強くしなければならない状況にあった。アメリカでマイナー競技であったバレーでの生活は苦しかった。バレー協会が選手をバックアップする体制が出来たとは言うものの、バイトしながらバレーに打ち込む生活を送る選手も多々いた。おまけに個人主義の徹底したアメリカという国。なかなかチームとしてまとまらず、ベテランと若手との間に壁もあり、遂に監督のダグ・ビイルはロッキー山脈雪中行軍という荒療治を考え出した。まるで日本のスポ根アニメの世界なのだが、ぶつかり合い、自分をさらけ出し、でもチームはこの行軍を通してまとまってきたのだった。

そして迎えたロサンゼルスオリンピックで、アメリカは見事金メダルを獲得した。ソ連が出ていないから優勝出来たのだと言う声を振り切るべく、85年のワールドカップではソ連を倒して優勝。アメリカはさらに強く、芸術的とも言えるプレーの連続で、アメリカが世界一であることに意義を唱える者はもう誰もいなかった。



アメリカはスター選手の集合だし、初めの頃、カーチはキャプテンだが実はレギュラーの中で一番若かった。だがその若さを良い意味で感じさせない選手だった。レシーブは自分の使命と心得、絶対にボールを落とさない気迫がみなぎっていた。相手のブロックにスパイクを当ててブロックアウトを取る技術も卓越していた。手をパンパン叩いてうるさくない程度に味方選手を鼓舞することを忘れなかった。技術的にも精神的にも彼は80年代最高の選手だった。おまけにあのルックスだ。ミスターバレーボールと言われたのも無理ない。

インドアを引退してからはビーチバレーに専念して、今度はキングオブビーチと呼ばれるようになった。インドアでもビーチでも金メダルを獲得したただ1人の選手。

優秀な選手は人間的にも出来ているというのは本当で、コート上のあまりに真摯な姿にとっつきにくそうにさえ見えたが、図々しくも「世界選手権優勝おめでとうございます」と声をかけた私に、日本語で「ありがとうございます」と言って自分から握手してくれた気さくな横顔を持っていた(良い子は真似をしないように!)。彼のサインは勿論私の宝物。


今でもバレーと言えば一番に思い出すのはカーチの姿。コートでボールを追っている勇姿。コートサイドでチームメイトと話している低い声。ワールドカップを受け取って頭上にかざす姿。キャプテンとして一番に金メダルを受け取る姿。頭脳と技術と(ついでにルックスも)強烈なキャプテンシーの総てを備えた彼のような選手はそう簡単には出てこないだろう。

良くも悪くもアメリカチームはカーチとその仲間達によって、絶頂期を迎え、そして彼らの引退によって沈んでいった。スポーツ選手の絶頂期は決して長くない。その彼らが頂点に上り詰める場面をすべて私は生で(と言ってもその多くはテレビ中継を通してではあるが)見ることが出来た。彼らと同じ時代に生まれ、彼らのプレーを見ることが出来たのを幸せに思う。



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