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2004/8/29 |
アメリカ 女子バレーボール選手
1980年代後半から、アメリカ女子バレーチームの大エースとして君臨した。大きな体格か打ち下ろすパワフルなスパイクに加えて、レシーブも抜群でオールラウンドな、まさしく世界のエースだった。そして、私の大好きな選手でもあった・・・。
以降はバルセロナ五輪の時に私が書いた記です。
カレン・ケムナーは、アメリカ女子バレーチームの牽引者である。女性でありながら、金髪を振り乱して、コート上で吠える様は、まさしくコートのライオンだ。
カレンは長身ながら、レシーブの要であり、勿論恵まれた体から繰り出すスパイクは世界一のパワーと言っても過言ではない。オープン攻撃だけでなく、縦横無尽のバックアタックがカレンの魅力だ。カレンのバレーは、ほとんど女子バレーの領域を越えて、男子バレー並の高さとパワーを持っている。
そして、何より素晴らしいのはカレンの持つ気迫だ。精悍という言葉がぴったりの顔に満面の闘志をみなぎらせ、ユニフォームの袖は腕まくりをし、これでもかこれでもかと打ちまくり、拾いまくる。世の女性達が、同性ながらしびれてしまう魅力を、カレンは持っている。
ロサンゼルスオリンピックで銀メダルを獲得して以来、アメリカ女子バレーは低迷してきた。銀メダルメンバーが、引退してからアメリカは若手でチームを組んだ。カレンは、もっとも期待される若手の一人だった。まだ若くて、大変荒削りだったが、その頃からすごいパワーとレシーブ力の良さを発揮していた。いつかはきっと大物になるだろうと予感させてくれる選手だった。
だが、アメリカは国際舞台で低迷し続けた。カレンと共に、チームを担ってきた選手達はヨーロッパのプロリーグへ、ビーチバレーへと去っていく。カレンもまた、イタリアのプロリーグ行きを決めた。だが、カレンはアメリカチームを忘れず、イタリアのオフシーズンにはアメリカチームに合流するという二足のわらじを履く生活を送ったこともあった。
バルセロナオリンピックを控えて、アメリカにとって出場権を取ることが最大の課題だった。女子の出場枠は八組。北中米選手権でキューバに敗れたアメリカに残されたのは、日本で開かれるワールドカップで出場権を取ることだけだった。ライバルは、ソウルオリンピック銀メダルのペルー。カレンは燃えた。ペルーとの試合は、フルセットに及ぶ白熱したものとなった。オリンピックに賭ける情熱がぶつかりあう。そして、アメリカが勝った。
バルセロナは、カレンにとってソウルに次ぐ二度目のオリンピックだった。カレンは、今やベテラン選手。そして、世界有数の大選手になっていた。ワールドカップで、出場権をもぎ取ったアメリカはのっていた。世界に通じる高さとパワーで、メダルを狙ってバルセロナに乗り込んだ。だが、緒戦の日本戦で思いがけない敗退。カレンは不調というニュースが飛んだ。
カレンは、そんな噂には負けなかった。一つ負けたなら、後は全部勝てばいい。優勝候補の一角、EUNを破り、準決勝リーグに進んだ。そして、準決勝。北中米選手権で、いつも苦杯をなめるキューバにまたもや破れた。金、銀メダルの夢は消えたが、カレンの闘志は燃えやまなかった。日本が準決勝リーグで敗れたブラジルを下し、銅メダル獲得。初めてのオリンピックのメダルを胸に、カレンはさわやかに笑っていた。
カレンはアメリカンドリームの体現者のような人だ。成せば成る。その思いがカレンの不屈の闘志に結びついているのだろう。
女子選手としては、もはや若いとはいえない年になってしまったが、出来ることなら、地元アトランタでもう一つ上のメダルを狙って欲しい。カレンには、それが可能な体力と気力が備わっていると信じている。 |
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