連載小説




















































愛しのジャン・ピエール


べべちゃん


 ああ、夢みたい。ジャン・ピエールが目の前を滑って行くわ。素晴らしいスケーケィング。

 あっ、決めたわ。トリプルアクセル!スローパートも何て素晴らしい。彼は天性のスケーターよ。

 まあ、何て迫力のあるストレートのステップシークエンスなの。こんなの見たことないわ。

 まあ!ラスト近くにトリプル、トリプルのコンビネーションよ。そして、スピン。フィニッシュ!

 素晴らしい。素晴らしいわ。今までで最高の出来じゃないかしら。きっと、メダルに手が届くわ。当たり前よ。見てよ。このスタンディングオベイション。

 大変。行かなくちゃ。彼がリンクサイドに寄ってきたわ。見てよ。見て。ジャン・ピエール。こちらに来て。ほら、誰よりも目立つように真っ赤なコートを着てきたのよ。そして、ほら、誰よりも大きな花束を持ってきたのよ。あなたに捧げるために。それだけのために、私は大変な努力を払ったのよ。

 ああ、もうすぐこちらに来る。私のほうを見て。ジャン・ピエール!ジャン・ピエール!花束を受け取って。そしてキスをしてくれたら、私、もう死んでもいいわ。ほら、そんな熊のぬいぐるみより、この花束のほうがよっぽどきれいよ。蘭なのよ。チケットと花束で大枚はたいたのよ。それもあなたのためよ。 

 彼が近づいてくる。おお、神様。ジャン・ピエールが私のほうに来てくれますように。どうか、神様。

 ああ、どうしよう。彼が来たわ。ああ、来たわ。私のほうに来る。ジャン・ピエール、ジャン・ピエール!受け取って。花束よ。あなたのための花束よ。えっ。ええっ。夢みたい。夢よ。今のは夢よ。ううん、夢じゃない。キスしてくれたのよ。彼が花束を受け取って私にキスしてくれたのよ。ああ、どうしよう。幸せすぎて涙が出てくるわ。ジャン・ピエール、私のジャン・ピエール。来て良かった。ありがとう。素晴らしいわ。素晴らしいわ。彼の唇が触れたほっぺたが熱い。ああ、どうにかなりそうよ。


「なんか、間の抜けた話だなあ」

 警察署で、警官が後輩に話しかけた。

「万引きしたコートを着て、堂々とテレビに映ってるなんてね。まあ、自分が防犯ビデオに撮られていたことを知らなかったんだろうが、それにしてもねえ」

「そうですねえ。でも、あのブティックの女店主、防犯ビデオを見ながら、そう悪い人にも見えないし、こちらも客商売だから穏便に済ませたい、なんておっとりしたこと言っていたのに、電話をかけてきたときの剣幕っていったらすごかったですよ。ヒステリックにわめきっぱなしなんですよ。あの万引き女が、今テレビに映ったからすぐ捕まえろ、ってね。驚きましたよ」

「まあ、びっくりしたんだろうがねえ。あんな派手なコート、普通に着ているだけでも目立つのに、それを着てフィギュア会場のど真ん中で、選手に花束捧げてるんだから。おまけに逮捕された第一声が、幸せだわ、と来るんだから。全くわからんね」

 先輩の警官はそう言って笑った。 


 万引犯逮捕の報を電話で聞いて、ブティックの女店主は、すぐにビデオをかけた。

 真っ赤なコートを着た女が、身体を乗り出して、高そうな花束を差し出している。そして、選手の目に留まり、彼は花束を受け取り、彼女の頬にキスをする。

 女店主はそれを見て、目を細めて皮肉っぽく笑った。

「逮捕されていい気味だわ」

 花束を持った選手はそのまま滑っていく。

「私はチケットを取れなかったっていうのに、この女は…。この女は、こともあろうに花束を捧げて、キスまでしてもらったのよ。私のジャン・ピエールに!」



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