連載小説








































































































































自分史



弾 射音


 ワープロの楽しさを教えてくれたのは孫の達郎だった。父親が達郎の中学進学祝いに買い与えたパソコンと、そのソフトであった。

 佐伯老人は最初のうちは横からちらちら盗み見るだけであったが、そのうち関心が高まっていった。近ごろの先端技術にはついていけないものを感じてはいたのだが、孫が楽しそうにワープロで宿題の作文やクラブの会報をつくっているのを見ているうちに、なんと便利な機械であろうと感心せずにはいられなかった。
 佐伯老人は決心した。さっそく近所の家電ショップへ行き、自分にも扱えそうなパーソナル・ワープロを選び出した。

 彼がワープロ購入を決心したのには、じつは大きな要因があった。彼はいわゆる「自分史」を何年ものあいだ書こうと思いつつも、趣味の盆栽とか老人会の集まりのせいで、なかなか実行にうつせないでいたのだ。しかし、それなりの金額を払ってワープロを買いこめば、いやでも実行にうつさざるをえなくなるにちがいない。自分自身にプレッシャーを与えて、むりやりにでも書きはじめようというわけだ。

 パーソナルとはいえ、最近のものは数年前のビジネス用ワープロ以上の機能がついている。フロッピイに文書を記録するのはもちろん、通信機能までついているのだ。

 買ったその日から、ワープロは佐伯老人をとりこにしてしまった。

 佐伯老人はほとんど盆栽の手入れを忘れ、老人会のゲートボール大会にも参加せず、ワープロ習得に専念した。年齢が年齢なだけに、キーを打つ指さばきはなかなか上達しなかったが、その機能は確実に憶え、つかいこなせるようになった。

 やがて、彼は本格的に「自分史」の執筆にとりかかった。

 少年時代のことやら、戦争のことやら、二十年ちかくもまえに定年退職した会社のことやらを、彼は毎日、何時間も飽きずに書きつづけた。

 彼には書くべきことが山ほどあった。平均的な戦前生まれの日本人とはいえ、彼は彼なりに特異な体験をいくつもしてきているという自負があった。自分でなければ体験できなかったこと、自分でなければ実現できなかったこと――それらすべてを、ぜひとも書きのこしておく必要が、彼にはあるのだった。自分の記録をこの世にとどめておくためにも、後世の参考に供するためにも。

 彼がワープロに興じていることを、家族の者も悪く思ったりはしなかった。あまり没頭しすぎて散歩すらしないのでは問題だが、ボケ防止にはちょうどいい趣味であろうぐらいには考えていた。何を書いてるんですかと横から覗きこんで興味があるふりをするのも忘れなかった。

 横から覗きこまれると、老人はかならずディスプレイを両手でかかえるようにして隠し、怒って家人を追いかえすのだった。ワープロをやっていることに関心をもたれるのはいい気持だったが、書いている最中に覗き見されるのはいやなのであった。少なくとも区切りのいいところまで完成するまでは誰にも読ませるつもりはなかった。

 しかし、自分がどんなことを成し遂げようとしているかを吹聴してまわりたいという麻薬のような誘惑を感じないわけではなかった。ただ、家の者に言ったところで、大して書きすすんでいないうちからそんなことを言っても、馬鹿にされるだけじゃないだろうかという恐怖があったのだ。自分が書いているのは、自分以外の誰にも書きのこすことのできない、貴重な記録なのだ。それを家人の不用意な言葉でだいなしにされるのはごめんだった。

 家人に話すかわりに、彼は会社の昔の同僚たちに電話をしまくって話して聞かせた。みんなとっくの昔に退職して退屈な隠居生活をおくっている仲間で、うとましく思わずにちゃんと彼の話を聞いて感心してくれるはずだという計算があった。

 実際には、それは彼の思っていた以上の効果があった。

 ワープロで「自分史」を書いていることを彼に自慢された仲間の老人たちが、みな一様に発奮してしまい、それぞれにワープロをはじめてしまったのだ。

 彼らもまた、佐伯老人とおなじように「自分史」をワープロで書きはじめた。

 佐伯老人はあまりいい気分ではなかった。もうワープロをやっていることを自慢のタネにできなくなってしまったからである。しかもみんな彼の真似をして「自分史」の執筆ときている。だが同時にそれは彼自身にとっても発奮材料となった。彼は昔の仕事仲間に、ワープロにはこんなこともあんなこともできると電話で教えてやって、なんとか少しずつ自尊心を満足させながら、ますます「自分史」――自分だけの貴重な体験、自分だけに成しえた偉業の記録に没頭していった。

 それからしばらくして、誰からともなく、みんなで書いたものを見せあおうという話になった。佐伯老人はあまり賛成ではなかったのだが、自分の書いたものが他の誰のものよりも優れているという自信だけはあった。彼は表面上、その提案に賛成の態度をとった。

 しかし、なにぶん全員が見事にばらばらの場所に暮らしているため、そう簡単には一箇所に集まるというわけにもいかない。どこかの温泉旅館で一同に会するというのもこの歳では大儀だ。

 だが、ワープロには便利な機能がついている。電話回線さえあればいいのだ。
 老人たちはいっせいにワープロ通信をはじめることになった。

 佐伯老人は孫の達郎に教えてもらいながら、「自分史」を電話回線で彼らに送りはじめた。ほどなくして他の老人たちも彼に「自分史」を送ってきた。ひとりのこらず自分の書いたものを自慢したい一心だったし、すべて書きかけのものだったが、それなりに他の者の参考にならないわけでもなかった。彼はみなが送ってきたものをすべて、一枚のデータフロッピイに保存していった。

 佐伯老人は来る日も来る日もワープロを打ちつづけた。とにかく記録できるだけ記録しておきたかった。充実した老後だとも思っていた。

 しかし、そんな彼にもとうとう病床に伏すときがやってきた。

 彼は枕もとに息子を呼んだ。その日は朝からわりと気分がよかったのだが、なんとなくいやな予感がしたのだ。

「よく聞け」彼は息子に言った。「あのワープロで、わしはじつは自分史を書いておったのだ。まだ完成してはおらん。そのことを思うと残念だが、そうも言ってはおれん。わしの書いたものはおまえたちの参考になるものもかなりあるはずだ。ひょっとしたら出版するだけの値打ちがあるかもしれん。書いたものはすべてフロッピイに記録してある。わしが死んだら、それを呼び出して、印刷して家の者に読ませるがよい。昔の仕事仲間の書いたものもいっしょにはいっておるが、息子のおまえには区別がつくだろう。わしの書いたものを印刷して、製本して、いつまでもこの家にのこしておくのだ。いいな?」

 息子はうなずいた。

 そして老人はその日のうちに息を引き取った。

 葬式の数日後、佐伯老人の息子はやっとワープロのスイッチを入れた。乗り気ではなかったが、とにかく故人との約束は果たさなくてはならない。達郎に教えてもらいながら彼はデータフロッピイをドライブにさしこんだ。

 文書が、つぎつぎに出てくる。

 老人特有の、形式ばかり重んじる、堅苦しい、古臭い文章。

 内容も、平凡でつまらないものばかりだ。

 さて、おやじの書いたものを選びだすか。彼はひととおり目を通してから思った。

 そこで彼はたちまち頭をかかえこんでしまった。

 父親の書いたものと、他の老人が書いたものとが、まったく区別がつかないのである。

 どれもこれもがおなじ堅苦しい文章、おなじ言いまわしで、しかも登場人物のうち身内の者にはいっさい固有名詞をつかわず、ただ「愚妻」とか「愚息」としてあるだけで、文体そのものからはまったく区別のつけようがなかった。

 それだけならまだなんとかなったかもしれない。

 ところが、内容までもがほとんど大差ないのだった。おなじ会社に勤めた、おなじ年代の、おなじ平均的日本人だから、内容がほとんどおなじようなものになってしまうのは当然だ。

 こうなったら、生きている他の老人たちに聞いてみるしかない。

 だが、それすらもたぶんむりな話だ。老人たちにも自分の記録についてはそれこそ途方もないプライドがあるだろう。どれがあなたの記録ですかと聞いたところで、激怒して追い返される可能性のほうが高い。

 これでは、ほんとうにどうしようもない。

 佐伯老人の息子は、ほかならぬ自分の父親の書いたものがはいっているワープロをまえにして溜息をついた。

 そして、一行も印字しないままフロッピイを抜きとり、スイッチを切った。





作者紹介

弾射音(だん・しゃのん) ぱおにゃん?の前身「ぱおにゃんオンライン・マガジン」の執筆陣の一人。ていうか、大部分の作品を書いてペンネームをいくつも使い分けて載っけてた。1998年にSF長編「太陽が山並に沈むとき」でインターネット文芸新人賞に入選。そのほかに発表したのは「SFバカ本 たいやき篇プラス」(廣済堂 絶版)に収録された「夢の有機生命体天国」のみ。あはは。一時期ネットで小説を発表してただで読まれるのをしぶっていたが、全然売れないので反省してネットに復活した。




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