スターに愛を込めて





























































































































2003/9/7
チャールズ・ブロンソン
Charles Bronson


1921年11月3日、ペンシルベニア州生まれ
2003年8月30日、逝去

本名はCharles Buchinsky(チャールズ・ブチンスキー)といい、父親はリトアニアからの移民だった。貧しい子沢山一家の5男で、高校卒業後炭坑夫などをつとめた後、空軍に入り第2次大戦に従軍する。46年に除隊後、フィラデルフィアのアートスクールに入り、舞台の裏方などを務めるようになる。48年にニューヨークに移り、俳優を目指し舞台に端役で立つようになる。49年に結婚と同時にカリフォルニアに移り、パサディナ・プレイハウスで本格的に演技の勉強を始める。51年に「You're in the Navy Now」で映画デビュー。それから映画やテレビの脇役を務めるようになる。当時は本名で出演していた。54年の「太鼓の響き」からブロンソンと改名した。58年に始まったテレビシリーズ「カメラマン・コバック」で主役を務めるようになり注目されるようになる。60年の「荒野の七人」でジョン・スタージェスに七人のガンマンの一人として起用され脚光を浴びる。63年の「大脱走」でも再びスタージェス監督に起用されトンネル掘りの名人として活躍した。68年には人気絶頂、美貌も絶頂のアラン・ドロンと「さらば友よ」で共演。続く「雨の訪問者」でルネ・クレマン監督作品出演と、国際的スターの地位を得る。74年の「狼よさらば」に始まるデスウィッシュシリーズでアクションスターとしての地位を不動のものにした。日本では「うーん、マンダム」の台詞で知られるマンダムのCMに起用され男臭さで人気が爆発した。ハリウッドスターが日本のCMに出演するという先駆けともなった。
68年に女優のジル・アイアランドと再婚。多数の作品で共演するなどおしどり夫婦で知られたが、彼女が癌に冒されると看病に専心するなど心優しい一面も見せた。愛妻ジルは90年に逝去。98年に彼は再婚したが、アルツハイマーに冒されるなど段々弱っていく。2003年8月30日、男の中の男とと言われ続けたブロンソン死去。享年81歳だった。


主な出演作品

1953年 ホンドー
      平原の落雷
      肉の蝋人形
      雨に濡れた欲情
1954年 太鼓の響き
      ヴェラクルス
      勇者の汚名
      アパッチ
1955年 真昼の脱獄
      去り行く男
1958年 マシンガン・ケリー
      カメラマン・コバック(TVシリーズ)
1959年 戦雲
1960年 荒野の七人
1961年 独立騎兵隊
      宇宙船X−15号
      空飛ぶ戦闘艦
1962年 恋のKOパンチ
1963年 大脱走
      テキサスの四人
1964年 マードックの拳銃
1965年 バルジ大作戦
      雨のニューオリンズ
      いそしぎ
1967年 特攻大作戦
1968年 戦うパンチョ・ビラ
      サン・セバスチャンの攻防
      大砂塵の男
      さらば友よ
      ウエスタン
1969年 おませなツインキー
1970年 夜の訪問者
      扉の影に誰かいる
      雨の訪問者
      狼の挽歌
      アドベンチャー
1971年 レッド・サン
1972年 メカニック
      バラキ
      チャトズ・ランド
1973年 シンジケート
      さらばバルテス
1974年 狼よさらば
      マジェスティック
1975年 軍用列車
      ブレイクアウト
      ストリートファイター
1976年 特攻サンダーボルト作戦
      セント・アイブス
      正午から3時まで
1977年 ホワイト・バッファロー
      テレフォン
1979年 太陽のエトランゼ
1980年 ボーダーライン
1981年 デス・ハント
1982年 ロサンゼルス
1983年 殺人鬼
1984年 地獄で眠れ
1985年 スーパー・マグナム
1986年 必殺マグナム
      トップレディを殺せ
1988年 メッセンジャー・オブ・デス
1989年 バトルガンM−16
      禁じ手
1991年 インディアン・ランナー
1992年 シー・ウルフ
1993年 サイコパス/9本指の死体
      DEATH WISH/キング・オブ・リベンジ
1996年 COP コップ(TVムービー)
1998年 キング・オブ・コップ
1999年 Family of Cops III(TV)


※チャールズ・ブロンソンは子供の頃から知っていた俳優でした。何と言ってもテレビから聞こえてきた「うーん、マンダム」の声。子供心に男臭い人だなあ、と思ったものでした。ブロンソンを初めてそれと認識した映画は「ホワイト・バッファロー」でした。バッファローと相対する孤高の男。もうそれなりのお年だったとは思うのですが、結構格好良いと思ったものでした。そして、高校生になって「荒野の七人」と「大脱走」を続けてきちんと(最初から最後まで)見て、どちらにも出ていたブロンソンに惹かれたのでした。「荒野の七人」では何故か子供に好かれるオライリー役。最初は斧で薪を切っている普通のおじさん。メキシコに行ったら何故か村の子供に懐かれて、「おじさんが死んだら花を供えてあげる」とありがたいようなありがたくないようなことを言われて困っている彼に可愛さを感じました。儲け役でしたね〜。あの子役たち、今頃ちゃんと墓前に花を供えてあげているかなあ。
「大脱走」ではトンネル掘りの名人。ひたすらせっせと穴を掘る男臭さがさらにヒートアップしていました。しかし、いざ逃げる段になって火が消えて真っ暗になると突然「トンネル怖い!」と叫びだし、親友になだめられ手を握られて・・・。もう本当に可愛い役でした。こうしてブロンソンは、たかだか高校生だった私に男の中の男の顔してその実可愛い人、と印象づけられたのです。


次は「さらば友よ」。放映当時、淀川長治さんが共演のドロンとブロンソンを評して「紫の花と干しかぼちゃ」と言ったとか。どちらがどちらかは言うまでもないでしょう(笑)。当時人気も絶頂なら美貌も絶頂だったドロンと堂々と渡りあうどころか、ドロンが青二才に(まあずっと年下なわけですが)見えるほど男の魅力と貫禄で何とドロンを喰ってしまったのでした。これでブロンソン株は急上昇。この後は、「雨の訪問者」や「狼よさらば」などひたすら男の中の男への道をひた走っていくのであります。この頃、日本でもCM人気もあって人気絶頂でしたね。
見ればわかるとおり、ブロンソンは決してハンサムの範疇に入るルックスではありません。スマートなタイプでもないし、洗練されてもいないし、どちらかといえばドロドロして西部の土臭さが良く似合いそう。銃を持たせたり、殴り合いでもさせれば滅法強そう。でも、女性や子供には優しい役が多かったような気がします。


ジル・アイアランドとは共に再婚でした。デビッド・マッカラム夫人であったジルは「大脱走」のロケについていって、ブロンソンと出会い恋に落ちたという話です。割を喰った格好のマッカラムでありますが、再婚後も友人として良い関係を続けたとのこと。とにかく仲の良い夫婦でした。70年代には二人の共演作が目白押し。ブロンソン映画にはいつもジルがいると言えば言い過ぎかもしれませんが、とにかく共演が多かった。パッと目には扱うのが難しそうなブロンソンですが、ジルが「野菜も食べなきゃ駄目でしょ!」と叱ると素直に食べた、という微笑ましい逸話も。そんな愛妻ジルが癌に冒されて、闘病むなしくこの世を去った時のブロンソンの憔悴ぶりは今も忘れられません。
その後、あまり映画でも見ることがなくなって半引退生活に入ったと言えるのでしょうか。そういえば、ビバリーヒルズに山火事が波及したときに必死に消火活動をするブロンソンの姿を見たことがありましたっけ。まだまだ張り切って元気だったあの頃。
下積みの長かったブロンソンは、遅咲きの花(かぼちゃ?)だったと言えるかもしれません。でも、幸運にもぴったりのヒット作、名作に恵まれました。画面に映るだけで一言も台詞を発しなくても、男らしさと貫禄を醸し出せるスターはそんなにいるものではありません。まさしく彼はそんなスターの一人でした。彼に似合っているのは寡黙、孤高。ハリウッドが生み出した最後の男の中の男でした。天国でどうかジルと再会して下さい。



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