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旅路の果て



LA FIN DU JOUR

1939年フランス映画
白黒 108分
 
監督 ジュリアン・デュヴィヴィエ

出演 ヴィクトル・フランサン ルイ・ジューヴェ
   ミシェル・シモン マドレーヌ・オズレー
ガブリエル・ドルジア シルヴィー


俳優ばかりが集う老人ホーム。マルニーはかつて名優と歌われた俳優。院内には一生を代役俳優として過ごしたカプリサードらがいた。そこに、名うてのプレイボーイとして名をなしたサン=クレールが入ってくる。マルニーは、サン=クレールに妻を奪われたことを未だに恨んでいた。一方のサン=クレールは、マルニーの妻のこととて数いた女性の一人としてしか思っていない。老いても尚色男のサン=クレールは、村の食堂で働く若い娘ジャネットを巧く言いくるめ夢中にさせる。ジャネットに好意を抱くマルニーは、ジャネットをサン=クレールの毒牙から救おうとする。老人ホームは、経営危機を迎え、居住者はバラバラに各地のホームへ送られる危機を迎えようとしていた・・・。


俳優とは、華やかでありながら孤独な仕事でもあります。かつて舞台でスポットライトを浴び、観客の拍手喝采を受ける至福の瞬間を味わった者たちは、その甘美なる時を一生忘れられずその甘美さを知っている者だけで老いた群れをなすわけです。これはあまりにも残酷な言い方ですが、彼らにしかわからない仲間意識がそこにはあるのでしょう。しかし、俳優と言ってもそこに至るまでの道は実に様々。地味ながらも名優の誉れ高い者もいれば、俳優としてもそこそこで人生もそこそこの者もいる。きら星の如きスターとして君臨し女性のハートを掴んで離さなかった者もいれば、常に自分の出番を待って待って俳優生命を終えた者もいる。ですから、引退した者たちが集う老人ホームと言えども皆が皆平等ではないわけです。

本編の主人公マルニーは、文句ない名優。但し、あまりに崇高な演技に観客の方がついていけず孤高の名優として君臨し続けたという人です。対するきら星スターのサン=クレールは、今で言うなら常にスキャンダルがつきまとうスターというところでしょうか。俳優としての名声も高いけれど、浮き名もどれだけ流したことか。そして、何とマルニーの妻さえもサン=クレールのものとなり、マルニーは当然のことながらそれを恨んでいるわけです。このサン=クレール、ルイ・ジューヴェが演じていますが、別段ハンサムというわけでもなく、ただ洒落た紳士であることは確かでその優雅な物腰や洒落た会話が女性のハートを掴んでしまうのでしょうか。老人ホームに入所することになった時、既に入所しているご婦人方が「サン=クレールがやってくる♪」とばかりに、部屋に花を飾ったり身支度を整えたりして、すっかり華やいだ雰囲気になってしまうのです。

おまけにサン=クレールは老いても盛んで、毎日毎日香水の匂いがするラブレターが舞い込む始末。それだけでは足りず、村の純真な娘ジャネットも虜にしてしまいます。ジャネットに既に好意を抱いていたマルニーは、ここでもライバルの出現に怒るわけです。マルニー役のヴィクトル・フランサンは、決して笑わずいつも背筋をピンと張って頭の先からつま先までプライドの固まりといったお人。演劇に対する思い入れは人一倍強く、単なる職業を超えた‘芸こそ人生’を地でいく人だと思われます。

ホームでも、何かと笑いを振りまきお騒がせの存在であったカプリサードは、本編の陰の主役とも言える人物。大人になりきれない子供を自認する彼は、ボーイスカウトの少年たちと仲良くなったりもします。多分、彼の子供の部分が何の違和感もなく少年たちに同じ視線で受け入れられてしまうのではないでしょうか。そんなカプリサードは、俳優としてはただの一度も舞台に立てなかった人。代役専門でシナリオはすっかり頭に入っているものの、彼が代役としてついた俳優はとにかく丈夫で絶対病気にならなかった、と自嘲気味に彼が語るシーンでは、もう何と言っていいのかわからなくなってしまいました。俳優としては、全く陰の人生。代役はなくてはならないものだけれど、主役がいる限り一生陰から脱しきれない存在でもあるのです。そんなカプリサードが、人生ただ一度舞台に立ちたいという願いを抱いたことを、私はとても責められません。

この話にはほとんど救いらしきものはありません。残酷なくらいにリアルです。芸に生きた人は、自己だけではなく人にも厳しく、一片の社交辞令さえそこには存在しません。あるのは実力のみ。そんな世界を生き残って来た人たちの話なのですから、甘さもなければ弱さも許されない。人生の終焉に近づいてさえ、尚彼らは妥協しようとはしないのです。それぞれの道に於いて。若者たちは一瞬彼らの人生に接点を見出すけれど、やがては去って行きます。若者たちにはこれから彼らの人生が待っているのです。わかってはいるけれど、老人とは別の意味でほんの一時も無駄に出来ないかのような若者の幸福感をも残酷と感じてしまうのでした。

ありとあらゆる人の人生を舞台上で生きた俳優にとっての、自らの人生の意味を深く問う究極の老いの物語です。名匠という名を欲しいままにしたジュリアン・デュヴィヴィエの最高傑作の一つだと思っています。


☆おじさんを通り越したご老人たちが、何故に若い娘にそこまでに・・・。また、まだ花開く前の若い娘がナイスミドルさえもとうの昔に通り越したナイスシルバーに何故そこまで・・・?






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