マイ・ボニーの歌声に支えられて〜ボニー・ブレア



















2002/2/10
Bonnie Blair

アメリカスピードスケート選手  1964年3月18日生まれ

 カルガリーオリンピックの女子スピードスケート会場で、観客席に大きく掲げられた横断幕を目にした。そこには大きな字で「Aunt Bonny」と書かれていた。その幕の側には数人の大人たちと子どもたち。やがて、その彼らの大声援を受けて登場したのが、ボニー・ブレアだった。

 ボニーは強かった。当時、東ドイツには三強と言われたスプリンターがいたが、彼女はその三人に勝って優勝した。当然、観客は大熱狂。

 ボニー・ブレアがオリンピックの金メダリストになるまでは、決して平坦な道のりではなかった。リンクを借りるのには、沢山のお金がかかる。そのお金を捻出できないボニーは、朝早くスケートリンクに潜り込んで練習したという。
 沢山の兄弟の末っ子として育ったボニーには、何人かの甥や姪がいるのだろう。あの横断幕は、その子たちが「おばさん」のために心を込めて作ったものに違いない。そして、「おばさん」はその気持ちに応えて世界一になった。

 ボニーは、また、強い人は心も優しいのだということを教えてくれた。カルガリーで、橋本聖子が最後の種目5000メートルでゴールインしてばったり倒れてしまったときのこと。コーチに抱きかかえられている聖子のところに、飲物を持ってスイスイ滑ってきたのがボニーだった。この光景には感動してしまった。ボニーが、強いだけでなく、人を気遣う優しい気持ちを持ち合わせているのが嬉しかった。

 四年後のアルベールビルで、また観客席に大横断幕が張られた。そして、ボニーは相変わらずの強さで、500メートルと1000メートルの二種目を制した。観客席で、家族らの大応援団が歌うのは「マイ・ボニー」。

 さらに2年後のリレハンメルでもボニーは衰えを知らない滑りで再び金メダル。あの小柄な体のどこにそんなパワーが秘められているのだろう。何年もの間にわたって世界のトップを維持し、何より一発勝負のオリンピックの大舞台で必ず金メダルの滑りを披露できるところにボニーの抜群の強さがあった。
 金メダル5個はアメリカ女子史上初の快挙。

 再びアメリカ、ソルトレークの地で行われたオリンピックでボニーはダン・ジャンセンと共に、聖火を運んだ。当然の人選だ。今も変わらぬ優しい微笑み。
 優しさと強さは人間の中に立派に同居出来るということを身を以て示してくれた人だった。彼女を見ると今も「マイ・ボニー」の歌声が心の中で鳴り響く。私にとって忘れられない選手の1人だ。



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