連載小説






































































果てしなきバレーボール


弾 射音


 それは199×年×月×日、Vリーグ女子、目立対タイエーの試合ではじまった。

 犯人からの電話は試合開始の直前にかかってきた。ボールに爆弾を仕掛けた。数秒以内の間隔でレシーブ程度以下の衝撃をボールに与えつづけないと爆発する。スパイク程度の衝撃を与えると爆発する。一定以上の加速度がボールにかからないと爆発する。つまり、トスやレシーブのみでボールを空中に上げつづけなければ爆発するというのだ。電話を受けた競技関係者はあわててアリーナに飛びだしていったが、試合開始のホイッスルが鳴った直後だった。

 彼はただちに目立とタイエーの両監督に事情を話した。両監督は同時にコートへ飛びだし、選手たちをあわてさせた。彼らが試合を中断しようとしたため、両監督が必死にパスをつづけながら事態を説明した。青くなった選手たちはへっぴり腰になってパスをつづけ、仲間の選手や相手側コートへボールをまわしつづけた。コートから逃げだそうとした選手もいたが、監督やコーチが強引にコートへ引きずりもどした。

 場内が騒然となった。まるで試合の体をなしていなかったからである。数分置いて場内にアナウンスが流れ、パニックにおちいった観客たちはいっせいに場外へ逃げだした。

 両チームの選手たちはメンバーを入れ換えながらでたらめな人数で必死にパスをつづけた。そのうちに両側のコートに目立とタイエーの選手やコーチやその他関係者が入り乱れはじめた。三分の一が泣いていた。極度の緊張でレシーブに失敗する者がいて、とんでもない方向へボールが飛んでいくと、その近くにいた者がそれを必死にレシーブしてコートへもどした。 警察がやってきた。消防もやってきた。ほどなくして爆弾処理班が到着した。だがただ遠巻きに見まもることしかできなかった。

 深夜になった。イトーヨーコソーやフニチカなど、ほかのチームの選手たちが応援に駆けつけた。長時間にわたり奮闘しつづけた選手たちは交代してもらい、トイレへ行ったり食事をしたりその場でぐったりと倒れこんだりした。彼らはとりあえず体育館の控え室で仮眠をとった。やがて朝を迎えた。

 翌日にネットが取り外された。午後になり、近所のママさんバレーのチームが応援に駆けつけた。高校や中学のバレー部員たちもやってきた。男女の日本人選手や外人選手たちがおおぜい入り乱れ、体育館いっぱいにひろがってボールをパスしつづけた。

 選手たちは交代でバレーをつづけ、家や宿舎へ帰って休息をとり、ふたたびやってきた。二日目が過ぎた。

 そして一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎた。そのころにはこのバレーのための団体が設立され、常時三十人がコートでボールをパスしつづけるという態勢になっていた。ほかで試合のない選手たちが参加したり、練習のためにやってくる者もいた。そうして二十一世紀がやってきて、さらに数年が過ぎた。

 犯人への呼びかけは途切れることなくつづけられた。だが犯人からはまったく連絡がなかった。時効を理由に名乗りでることを求めたりもしたが、無駄だった。

 十年目には祝賀パーティもおこなわれた。世代がかわり、最初のころボールをパスしていた選手たちはほとんどのこっていなかった。

 やがて二十五周年を迎えた。そのころになると、世間はその体育館でおこなわれていることの理由を忘れてしまっていた。テレビのクイズ番組でそれが出題されたが、正解した者はいなかった。

 そのあいだには、こんなこともあった。

 ボールがぼろぼろになり、空気が抜けはじめたのだ。

 できるだけやさしく、選手たちはパスしつづけた。だがかなり空気が抜けてふにゃふにゃの偏平になったボールをパスしつづけるのは困難なことだった。

 そしてある日、まったく唐突に、ボールはひとりの選手の頭上でひしゃげ、穴があいて、ぺちゃんこになった。

 選手や体育館にいた者たちはあわてて散りぢりになった。

 だが、いつまで待っても、ボールは爆発しなかった。

 爆弾など、最初から仕掛けられていなかったのだ。

 関係者たちはあわてた。長年にわたっておこなわれてきたことを、いまさらボールの破損ぐらいでやめられるだろうか。さいわい、部外者はいなかった。古くて汚れのついたべつのボールを持ってきて、彼らはひそかに交換した。そして選手たちはなおもトスやレシーブをつづけるのだった。

 あと数年で、百周年になろうとしている。この永久バレーがはじまった日を知っている者は、もうほとんど生きていない。





作者紹介

弾射音(だん・しゃのん) ぱおにゃん?の前身「ぱおにゃんオンライン・マガジン」の執筆陣の一人。ていうか、大部分の作品を書いてペンネームをいくつも使い分けて載っけてた。1998年にSF長編「太陽が山並に沈むとき」でインターネット文芸新人賞に入選。そのほかに発表したのは「SFバカ本 たいやき篇プラス」(廣済堂 絶版)に収録された「夢の有機生命体天国」のみ。あはは。一時期ネットで小説を発表してただで読まれるのをしぶっていたが、全然売れないので反省してネットに復活した。




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