連載小説

































































へりろち


弾 射音


第1回


 雨だった。
 いきなり。
 とはいっても、朝のテレビの天気予報じゃ、午後から降水確率七〇パーセントなんて言ってたから、おりたたみ傘だけはちゃんと持ってた。スポーツ・バッグのいちばん底にしのばせて。
 で、校舎のひさしの下に立ってバッグの中身をごそごそやりながら、あたしはクラスメイトでおなじバレー部員の佳子のことを考えていた。
 あいつ、クラブをサボりやがった。
 しかも、無断欠席。
 顧問の田中が怒ってるのよねえ。体育館のバレー・コートで、水谷(佳子のこと)はどうしたと言って、みんなが肩すくめてわかりませんとこたえたあとは、なにも言わなかったけど。
 それ以上に、主将の和田先輩はカンカンだった。しばき倒してやるって怒鳴ってたもんなあ。
 おかげであたしらはレシーブの練習でさんざんしごかれてたいへんだったんだ。
 佳子のばかっ。
 おまけに、うっとうしい雨だ。
 しかもひとり。ボールやネットなんかをかたづけてるあいだになんとなく遅くなっちゃって、それからトイレに行ってたらさらに遅くなって、ほかのみんなにはさきに帰ってなんてかるく言ったんだけど、これじゃやっぱりいいかげんにしてみんなといっしょにさっさと帰ればよかった。
 ほんとに、佳子のばかっ。
 汗のしみこんだユニフォームやブルマなんかの下にやっと傘を見つけ、あたしはそれをひろげて雨のなかに足を踏みだす。空と佳子を呪いながら。
 これでも佳子のことは理解してあげてるつもりだ。あいつとは中一のときからずっといっしょだし、ふだんは明るくて、クラブを無断でサボるようなやつじゃないから。たぶんあいつはあたしのことを親友だって思ってるだろうし、あたしだってあいつのことはきらいじゃない。あいつが恋の悩みなんてのを打ち明けたときも、あたしはまじめな顔してちゃんと聞いてあげたもんね。
 でもやっぱり腹が立つ。
 恋の悩みか。くはーっ。どうでもいいけど、疲れるよなあ。あたしにもそういうことはなんて言ってあげていいかわかんないのよね。とくに佳子はけっこう気が弱くて、男に愛を告白するなんてこと、かんたんにできっこないだろうし。
 で、相手はだれなのって訊いたら、なんと、3組の青島なんだってさ。まいったね。
 青島ってさ、モテるんだ。めちゃ背が高くてルックスもまあまあだし、バスケット部じゃほとんどいちばんめだつ存在。しかも、噂ではどっかの女子大に年上の(女子大生だから当然だけど)ガールフレンドがいるとかで、惚れる佳子のほうが不びんでならない。
 で、とりあえず、バレンタインにチョコレートあげてみたらって言ったんだけど、いまは十一月。いくらなんでも来年のこと言ってちゃラチはあかんわな。
 それにしても、そうとう思いつめてはいるようだ。なんとかしてやりたいけどね。でも、どうしようもない。
 いつのまにかあたしはぶつぶつ言いながらぬかるんだ校庭を歩いていき、校門を出て、最初の角を曲がった。 そこに、当の佳子が立っていた。
 傘もささずに。
 だらんとカバンをぶらさげて、全身ずぶぬれで、うなだれて。
「あ、あんた、どうしたのよ!」
 あたし、思わず彼女に駆けよった。
 佳子が顔をあげる。前髪からしずくがしたたり、その奥の目にもしずくがいっぱいたまってた。
 あたしは彼女の頭に傘をかざした。
「びしょびしょ! かぜひくでしょ。傘持ってこなかったの?」
 あたしはスカートのポケットからハンカチをとりだした。そのあいだも彼女はうるうるの目であたしを見つめる。
 そして、訴えるように、ふるえる声で言った。
「へりろち」
 聞きまちがいじゃなければ、たしかに彼女はそう言った。
「へ? へりろち?」
 あたしの声は、もろすっとんきょうだ。
 佳子があたしを見つめたままうなずいた。
「へりろち――いかすみけあぬ」
「い、いかすみい?」
 ふたたびうなずく。
 と、いきなり泣きはじめた。
「おーあおあおあおあおあ」
 と大声をあげて。
「佳子、ちょっと、しっかりしなさいよ! イカスミがどうしたのよ。なにがあったの?」
「おーあおあおあおあおあ」
「イカスミでも食べたの?」
「おーあおあおあおあおあ」
「ねえちょっと、なに言ってるのかぜんぜんわかんないじゃないの。イカスミがどうしたのよ。へりろちってなんのことなの」
「いかすみけあぬへりろちー。おーあおあおあおあおあ」
 佳子はあたしの肩につっぷしてますます大声でわけのわからない言葉を叫ぶばかりだ。「おーあおあおあおあおあ」
 それが佳子の泣き声だった。
 冗談みたいだが、たしかに彼女の泣き声はそういうふうに聞こえた。
「おーあおあおあおあおあ」
 おなじ高校の生徒や買い物のおばさんたちが、なにごとかという目で通りすぎていく。あたしはとにかく彼女をなだめながら彼女の家の方角へひっぱっていった。



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